神保町と言えば古本の街として知られていて、最近では美味しいカレー屋が集まっていることも話題になっています。
そんな神保町はどのような歴史を経て、町名はどんな由来で付いたのか、どうして本の街になっていったのか紹介したいと思います。
どうして神保町という町名になった?その歴史と由来
神保町周辺の町名は「神田神保町」ですが、神田と言えば皇居、旧江戸城の北側に位置し、当時は武家屋敷が立ち並んでいました。
今でいうところの神田小川町周辺で、武家屋敷街には町名が設定されていませんでしたが、戦国大名の越中神保氏の一族で幕臣・神保長治が屋敷を構えます。
神保氏は鎌倉時代から続き、平安時代に始まる秦氏の子孫と言われている名家だそうです。
そしてその神保長治の屋敷前を「神保小路」と呼ぶようになったことが由来と言われています。
そこから明治時代以降、現在の神保町1丁目が「表神保町」「裏神保町」「猿楽町」、神保町2丁目に「北神保町」と「南神保町」ができます。
昭和になり、そのあたりが整理され、現在の神保町になったそうです。
そんな神保町はどんな歴史を経て、本の街として有名になったのでしょうか。
神保町が本の街になっていった変遷
神保町周辺には明治時代に多くの大学ができました。
学生たちが使い終えた教科書を売却し、下級生たちがそれを買って、また売却する、それらを繰り返して神保町は古書店街として発展してゆきます。
そして、神保町は大正2年2月に起きた「神田の大火災」が発端で、この焼け跡に岩波茂雄が古書店を開き、それが大成功をおさめます。
ちなみに、この古書店は、現在の「岩波書店」です。
岩波の成功により、より多くの学生や知識人が集うようになり、神保町は本の街がより定着してゆきました。
また、落ち着いて読書ができるようにカフェの開業が相次いだことも、現在も昔ながらの喫茶店が多数あることに繋がっているのかもしれませんね。
余談ですが、神保町がカレーで有名になったのは最近のことだと言われていて、きっかけは1980年代から1990年代に起こったエスニックブームだとか。
2000年以降にメディアが「神保町にはカレーの名店が集まっている」と宣伝したお陰でカレー店が増えたそうですよ。
古書店をめぐり、ランチにカレーを食べ、お気入りの本を読みながらカフェでくつろぐ、神保町はそんなゆっくりとした1日を過ごせる素敵な街ですね。
まとめ
神保町は江戸時代に神保長治が武家屋敷を構えたことにより、周辺が神保小路と呼ばれたことに由来して、神保町と名前を変えていった歴史があります。
そして明治時代に大学がたくさん作られ、学生が集って教科書の売買が頻繁になされることで、古本の街として有名になりました。
今でもたくさんの古本屋が軒を連ねていますので、是非、その歴史に触れるために訪れてみてはいかがでしょうか。
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